月別アーカイブ: 2018年6月

探偵は嘘をつく

誰しも「嘘つきの羊飼いの少年」という寓話を聞いた事があるだろう。

ある少年が羊の群れの番をしていて退屈になり、村人に向かって叫んだ「狼が襲ってきたぞ」。みんな助けに来たが、もちろん狼はいない。少年は「狼は逃げた」と言い、村人は彼の機転を褒めた。次の日も、その次の日も彼は嘘をついた。そして四日目に本当に狼が来た。少年は必死に助けを呼んだが、村人達は無視した。少年も羊の群れも 食べられてしまった。

この物語は【いつも嘘ばかりついてると、本当の事を言っても、誰も信じてくれなくなる】という教訓を示していると一般的には受け取られている。しかし僕から言わせればこの物語の教訓はこうだ。

 

同じ嘘を二回つくな

 

探偵は嘘をつくプロとも言える。あなたは【嘘】というものについて果たしてどれだけ考えた事があるだろうか?探偵スキルのみならず、現代社会を生き抜く上で必要なのが「嘘をつく能力」である。ここでは嘘の素晴らしさを、僕は伝えたい。なんせ世の中は 嘘でいっぱいだ。

悲しいかな、現代日本の教育シーンにおいては一般的に「嘘をつくのは悪いことだ」という教育が行われている。にも関わらず、嘘をついた事のない人間など存在しないのは実に皮肉である。物心のついた子供は、さも当然の様に学校や家庭で嘘のつき方をどんどん学んでいくのだ。あなただって最初は下手な嘘しかつけなかったはずである、しかしそれが今ではどうでしょう、立派に嘘をつける大人になっているではありませんか!

―それはなぜか?

人とのコミュニケーションにおいて、嘘は必要不可欠なものだからだ。

異論はもちろん認める。だが道徳やモラルの観点はさておき、嘘の要素を完全に排除してしまうと、人間関係というのは かえってぎこちないものになってしまうのである。

 

そもそも人が嘘をつく時には 何かしらの理由が存在する。極論を言えば、自分の目的達成に向けて他者を誘導するために人は嘘をつく。もちろん無自覚に嘘をついている人も多いが、嘘の本質は「誘導」だ。嘘をつくのが上手いという事は、誘導力があるという事なのだ。

人間関係を円滑にする白い嘘(white lie)と呼ばれるものがある。例えば『お世辞』。本心では思ってもいない事を発言するわけだから、嘘をついていると言えるだろう。嘘も追従も世渡りだ。あとは『誇張』や『大げさな表現』『オーバーリアクション』も、一種の嘘のエッセンスが含まれている。「相手をいい気持ちにさせたい」「話を盛り上げたい」、そして「相手との関係性を良くしたい」という意図がある時に、人は少なからずの嘘を並べているのかもしれない。

また、聞き手が聞いた瞬間に、本当の事ではないと判ること —明らかな嘘— を聞かせて、それが嘘だという共通認識を確認し合って楽しむことがある。一緒に笑うため、すなわち『ユーモアとしての嘘』だ。欧米人がこの手のジョークを多用するのは周知の事実だが、ナンパ師もよく使うテクニックである。とどのつまり、嘘(ユーモア)が無い人間との会話は概して退屈なものになってしまうのである。

これは少し拡大した解釈にもなるが、『頭の中で思っている事を言わないでいる』のだって嘘と捉えることもできるのではないだろうか。「本音と建て前」という言葉が存在するように、人は社会生活において本音と建て前を使い分ける。多かれ少なかれ、人間というのは「真実と嘘」という二面性を常にはらんだ状態でコミュニケーションを行うのだ。嘘つきは泥棒のはじまりではなく、社会生活のはじまりだ。

セックスだって、男女の織り成す演技にまみれた嘘と虚構なのかもしれない。これはなんかカッコつけて言ってみたかっただけで深い意味はまるで無い、ごめん。

小説やドラマ、ゲームにアニメや漫画だって実際には存在しない架空のものであり、フィクション(嘘の物語)だ。紀元前からの演劇をはじめ、古より人間の娯楽においてフィクションが必要不可欠であったことは言うまでもないだろう。なかでもSF(Science Fiction)の中には創造上のテクノロジーだったものが、いつしか現実のものになっていたりするのだから感慨深い。嘘から出た実である。

 

ところで、僕は探偵として今まで数多くの不倫の現場を目撃してきた。そして依頼者に対して不倫の報告をしてきた。信頼を裏切られ、絶望して、涙を流して崩れ落ちる人を目の当たりにしてきた。

そこでみなさんにオススメの嘘がある。
そう、『相手の為の嘘』だ。

この『相手の為の嘘』を上手につけるようになれたら、人を傷つけにくくなる。大切な人を守る事ができる。だからこそ、嘘をつく技術を磨け。その嘘をつき通せ。後ろめたさや罪悪感をおくびにも出さずに嘘をつけ。嘘をつくのが罪ではない、それを嘘だと感づかれる事こそが罪だ。パートナーを傷つけるな、墓場まで持っていけ。僕から言わせれば、探偵に浮気調査を依頼されている時点で、既に二流だ。

 

さてここまで嘘の必要性について語ってきたが、絶対についてはいけない嘘もある。それは『自分に対しての嘘』だ。嘘をつくことが上手くなってくると、自分に対しても嘘をつくのがだんだん上手くなってくる。だが、自分の信念や気持ちに対しては決して嘘をついて(裏切って)はいけない。自分を騙してはいけないのだ。自分を信じることができなくなると、自分という人間を乗りこなせなくなってしまう。

僕はかつて、嘘の技術を磨き続けるあまり、自分すらも無自覚に騙すことに成功していた。嘘をつく事による誘導は非常に強力だが、その反面リスキーでもある。失った自分への信頼を取り戻すのには、とても長い時間がかかった。

 

っていうか、大学の履修の必修科目に「嘘のつき方」を追加すべきだと思う。あとは「ミスチル」と「スマブラ」と「SNS映えするカフェで異性の存在をほのめかす写真の撮り方」も追加してくれ。そしたら僕もフル単とれたはずだ。

 

探偵は嘘をつくプロとも言える。あなたは【嘘】というものについて果たしてどれだけ考えた事があるだろうか?この文章やブログも、まやかしなのかもしれない。

子供の連れ去り

子供の連れ去り

この文字を見ると「頭のおかしな男性の不審者による誘拐犯行」といったイメージを連想する人も多いだろう。しかし昨今の日本社会の裏側で深刻な問題になっている子供の連れ去りとは、なんと片親の独断による実子の連れ去りなのだ。

これはどういう事かというと、親権争いの最中で不利になっている側の親や、離婚をした後に子供との面会ができない側の親や、離婚をしたいが子供とは離れたくない親などが、勝手に子供を連れ去ると、どういう訳か現在の日本の法律では連れ去りが実質的に容認され、むしろ“先に連れ去った者勝ち”の状態になってしまうのである。

この文明社会の日本においてそんな馬鹿な話があるか、と僕も最初は疑った。だが事実なのだ。

何故そんな事態になるかというと、日本では連れ去った側の親が有利な法律しか存在しないせいだ。ほぼ全ての先進国では子供を連れ去ると誘拐や児童虐待で刑事罰が科されるのだが、日本では刑法でも誘拐罪などで摘発できるものの、連れ去りは家庭内の問題とみなされてしまい、事実上はほとんど適用されない。また、継続性の原則(特別な事情が無い限りは子供が育ってきた環境を継続させるべきだという考え方)も相まって、連れ去られてから時間が経てば経つほど既成事実が出来上がって連れ戻しが難しくなってしまうのだ。ここでさらに虚偽のDV被害届まで出されてしまうと、うかつに子供に近づく事も出来なくなる。近年のDV防止法の風潮に後押しされ、警察はDVの被害届が出されるとロクな調査もせずに直ぐに受理する他ない為に質が悪い。勝手に連れ去るのは法律上は問題ないが、それを連れ返すと誘拐罪になるのが日本という国なのだ。最近ではガイアックスの社長が、子供を連れ去った妻の実家の住居侵入罪で逮捕されたのが記憶に新しいだろう。日本の法曹界は本当に腐っている、日本の闇の一部である。

探偵の立場から共同親権について述べさせてもらうと、実はわりとちょくちょく探偵の元には「不倫をした妻が子供を連れ去ってしまい困っている」という相談が来る。これはどういうことかというと、不倫がバレて問い詰められた奥さんが自分の立場が危うくなる前にある日突然子供を連れて別居を始めるパワープレイが(この入れ知恵をする悪徳弁護士を殴らせろ)、単独親権の民法ではある種容認されているということである。

実をいうと僕は今、子供を連れ去られてしまった旦那さんの 子供の奪還に協力をしている。匿名性を守る上で詳しい話はここには書けないが、旦那さんは子供との会話の内容を、泣きながら僕に話してくれた。その時の彼の顔が忘れられない。

厳しい状況ではあるが、僕も探偵としてのノウハウをフルに活用して、有利な証拠や情報を集めて真っ向から戦う覚悟だ。先日の調査で、光は見えてきた。