過ごしやすい夜

今僕は山梨のとある旅館でこの文章を書いている。

私的な旅行ではない。浮気調査をしてる。

小学生くらいの頃だろうか。毎年、夏休みになると家族旅行で山梨に行っていた。車でいくのだが、夏休みの渋滞ラッシュを避けて、夜になってから家を出発する。

その時、日常である東京から離れていく中で感じるドキドキやワクワク。

「変性意識状態」「トランス状態」「非日常への扉」「ハレ」とでも言うのか。

家族みんなで小さな車に乗り込むと、カーステレオからは親父の趣味のアメリカンオールディーズや70年代ポップスが流れてくる。その曲に合わせて、夜の高速道路をビュンビュン走り抜ける。最初の数十分はワクワクが止まらずに、夜の風景を眺めているのだが、次第に車に揺られながら寝てしまう。

どれだけ時間が経ったかわからないが、車が止まり目が覚める。目的地に着いたかと思えば、まだそこはサービスエリアだ。寝ぼけながらも車から降りて、無数に並んだ自動販売機でジュースを買ってもらったりする。それを飲みながら夜空を見上げると、無数の小さな星が見えて心が躍った。

たくさんの長いトンネルを抜けて、目的地に着く頃には深夜になり、街灯もない車のヘッドライトだけが頼りの山道に。宿に着くと、親から旅行中の暇な時間用に買ってくれた本を与えられ、虫の声をききながら眠くなるまで本を読んでいた。

その頃の記憶や感覚が、なんとなく蘇ってきている。
過ごしやすい夜だから。

探偵ってのは、みんなが思っているよりも、大胆に尾行したりする。

実をいうと今だって、対象者(ターゲット)のすぐ隣の部屋に宿泊しているし、さっきは温泉で対象者と出くわして、ちょっとのあいだ一緒に露天風呂にも入った。

対象者は、まさか自分が監視されているとは思っていない。僕の見た目だって、どこにでもいそうな普通の男だし、探偵だとは夢にも思わないだろう。

探偵とはそういうものだ。

対象者の部屋の灯りが消えている。今頃不倫相手と不貞でもしてるのだろうか。

明日は朝食を食べてから、お昼くらいには山梨の観光地へとかに向かうような流れだろう。対象者の車には最新のGPSがついているので、追跡もらくちんだ。慣れてしまえばただの旅行である。行き先は知らせてくれないけど。

またいつか家族旅行がしたい。