探偵としてのキャリアの終わりについて

最近よく、探偵としてのキャリアの終わりについて考える。

ところでね
今これを読んでくれている探偵でない方にお伝えしたいことがあるんです。
それは…

今日も現場に出ている全ての探偵は「自分はいつまで探偵を続けていくのだろう」という自問自答をしながら調査をしている、ということ。

意外かい?とはいえ、まぁ多くのサラリーマンもこの手の葛藤は常に抱えていることだろう。だが探偵という職業の場合はより深刻な問題となりがちだ。

「探偵として生きていく」
はそんなに簡単なことじゃない

それは
「探偵として生計を立てていくこと」と
「探偵でいる自分を受け入れ続けること」
という2つの問題を孕んでいるのだ。


「探偵として生計を立てていくこと」はフィジカル(肉体的)な問題
「探偵でいる自分を受け入れ続けること」はメンタル(精神的)な問題
ともいえるだろう。探偵は辞めたい時に辞められない。それを寝れない夜に言語化してみたよ。

  

探偵として生計を立てていくこと
~フィジカルな問題~

ご存知の通り、探偵という職業は潰しが利かない非常にニッチなものだ。

『人を尾行するのが得意です!』
『ラブホテルから出てくる瞬間のカップルを撮るのには自信があります!』
『変質者だと思われようが何時間でも同じところに立ってられます!』

という事故アピールをしてくる人間を、積極的に採用したがる面接官のいる会社はあまり多く存在しないだろう。

現代日本においては、一度探偵という仕事に就いてしまったら、いわゆる一般的なキャリアアップを重ねていく人生は望めない。確実に社会のレールからは外れてしまう。前職が探偵というだけで、お堅い企業は片っ端から書類選考ではじいてくるのだ。僕は探偵から足を洗った人間を腐るほど知っているわけだが、キャリアアップとしての転職に成功した人間は知る限りでは たった一人しか居ない。

そもそも探偵になる人のほとんどは、前職を持つ転職組だ。それも探偵という職業を選択してしまうくらいだから、よほどの変わり者であることは間違いないし、探偵という仕事に流れ着いたということは、それなりにスネに傷を抱えた人間であることに他ならない。まぁ僕は新卒で探偵になってしまったので、スネに傷は無いけど親のスネは齧りつくしたとも言えるだろう(全然上手いこと言えてねーぞw)。

こうして探偵となった人間は、心機一転、調査業一本で生きていこうと決意して、現場で探偵としての腕を磨いていく。忙しさの中にもやり甲斐を見出し、身を粉にして対象者を追い続ける。メキメキと尾行の技術も上がり、様々な探偵スキルを習得していく。その過程は人生の第二の青春ともいえる楽しい日々かもしれない。だが探偵は生涯を通じて現場に出続けることは叶わない。気がつけばあっという間に歳を取り、現場でのパフォーマンスがどんどんと落ちていく。探偵の現場での寿命は短いのだ。

それなら現場を引退してクライアント対応をしたりする営業職に就けばいいじゃないか、と思うかもしれないが そう簡単にはいかない。そもそも現場一筋で影の仕事をしてきた職人探偵にとって、営業は真逆の仕事内容で、キャリアアップというよりかは完全なキャリアチェンジなのだ。それに探偵業の営業はかなり独特なものだし、往々にしてそのポジションは埋まっている。またここでは深く語らないが、探偵という仕事はクライアント対応の方が、肉体的にも精神的にも現場仕事よりもキツイものだと僕は認識している。

こうして体力だけでなく精神の衰え、労働時間、経済的な理由、家庭の事情、社会的体裁や世間体、そういうものが積み重なり、探偵は必然的に引退を考えざるを得なくなる。これがフィジカル(肉体的)な問題だ。

探偵でいる自分を受け入れ続けること
~メンタルな問題~

探偵は身体が勝手に動き出す。つい人を観察してしまう。眼球の動きが明らかに一般人と違う。カップルが視界に入ると今日セックスをするタイミングがいつかを予測してしまう。夜の住宅地を歩いていると無意識に足音を殺してしまう。東西南北を常に意識しながら生活してしまう。電話が鳴ったらどの名前で名乗ればいいか考えてしまう。自分のプライベートを犠牲にすることにある種の快感を感じてしまう。ようは職業病がキモいのだこれらは身体に染み付いてしまった習慣で、元に戻すのは至難の業だ。あとは街を歩いていても、至る所に思い出が存在している。

「対象者が立ち寄った店」
「対象者が乗換えに使った駅」
「対象者の勤務先」
「対象者の自宅」
「対象者を見失ったデパート」
「2日間張り込んだラブホテル」
「依頼者と契約したカフェ」

10年以上探偵をしていると、そんな場所ばかりが増えていく。そしてふと近くを通った瞬間に、辛かった思い出と共に当時の自分の記憶が蘇ってくる。そういう時に「探偵である」ということに対して、どこか誇りを持っている自分を再認識する。今まで潜り抜けてきた様々な苦難が、探偵としてのアイデンティティをより強固にしていくのだ。

遠回りな例えばかりになってしまったが、何が言いたいかというと【探偵は探偵である自分を誇りに思ってる】ということだ。プライドともいえるだろう。他人のセックスを証明して生活をしている社会不適合者という自分を愛しているのだ。(←文字にすると酷い肩書だな)

これは素晴らしいことでもあるが、同時に厄介な問題でもある。探偵を辞めたい時に辞めるというのはそれほどまでに難しい。これがメンタル(精神的)な問題だ。

  

まとめると、この2つの問題が欠け合わさることによって
「探偵を辞めたくないのに辞めないといけない」という状況と
「探偵を辞めたいのに辞められない」という状況に陥ってしまうのだ。

 

こうしてズルズルと探偵というものが、人生を侵食していく。

だいたい世の探偵たちはメンタルな問題をクリアにしてそのキャリアを終えるのだろうと思う。ようするに探偵への執着を捨てるということだ。探偵としての自分にピリオドを打って見切りをつけ、新しい人生を歩んでいく。探偵からの卒業だ。

逆にフィジカルな理由で「もう俺には探偵を仕事にしていくのは無理だ…」と痛感(挫折)してキャリアを捨てるとなると、その引き際は前者にくらべて格段に難しい。それは次のアイデンティティがまだ確立できていないからだ。今更自分が探偵以外の仕事なんてできるはずがないという恐怖もあるだろうが、それ以上に、自分が探偵でなくなることに恐怖を覚えるのである。高齢の探偵ほど悲惨だ。

 

先日、ひょんなことから同業他社の探偵さんとお話する機会があって『日本の探偵業界で小沢さんのことを知らない探偵はもういないと思いますよ』と言われて背筋が伸びる(凍る)思いがした。確かに謙遜するのも不自然なくらい、今や探偵業界においては有名になってしまったことは事実だろう。ゆえに多くの同業者もこの文書を読んでいることと思うのですが、頷きすぎて首がもげてはいませんか?

 

思うに僕にとって探偵というのはアイデンティティそのものなのだと思う。「探偵小沢」じゃなくて、ただの「小沢」にはもう戻れない。自分の場合、探偵を自身のアイデンティティの中にかなり肯定的に組み込んでしまっているし、それが占める割合も相当大きい。あの日、何者にもなれないで燻っていた自分を、肯定たらしめるものが探偵だった。今日までそれを糧として生きてきた自分から、探偵という要素を上手に抜き取ることができたとして、後には一体何が残るだろうか?新しい自分を肯定することができるのだろうか?もはやそこには貧乳好きの変態しか残らない。


探偵は人の秘密を覗く仕事だ。しかし(これはくさすぎて言うまい言うまいと思っていたが、)僕は<探偵>を通じて自分自身の人生を覗いているのだ。(言わせんな。)それに人生を懸けた大きな野望も実は持っている。

探偵小沢の肩書は厳密に言うと探偵というよりかは「コンサルタント探偵」だ。探偵の助けが不要な人間に対しても意見を述べたり影響を与える諮問探偵が、どんなキャリアの終わり方をするのかどうかを、ぜひあなたのその目で見届けて欲しい。