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探偵小沢からのご挨拶

自己紹介をしておこうと思う。

小沢といいます。
僕は私立探偵という仕事をしている。

都内の某有名私立大学を卒業したのに、こともあろうに新卒で探偵の仕事に就いた変わり者だ。探偵歴は15年程、手がけた案件は1000件を越える。

ただ、人里離れた雪山のペンションで密室殺人事件にでくわして電話線を切られたことはないし、ベイカー街に住んでもいないし、麻酔を仕込んだ腕時計もしていないし、伊達にあの世も見ていないし、祖父の名に懸けて何か大きな発言をしたことはない。

だけど、そういったフィクションよりもよっぽど生々しい、ドロドロとした人間ドラマを自分自身のこの眼で見てきた。

「事実は小説よりも奇なり」である。

このブログでは、世間ではまだまだ認知度の低い「探偵」について発信していこうと思う。探偵に対して「怪しい」というイメージを持つかもしれないが、あまり表には出てこないというだけで実はみんなが思っている以上に、どうしても探偵の助けが必要な状況に陥ってしまった人間ってのは、たくさん居る。探偵はそういう困っている人達の味方だ。何よりも、僕の掴んだ証拠で人生が好転していった依頼者は本当に多い。

しかしながらネットで見かける探偵ブログや探偵まとめ記事サイトのほとんどは、露骨な自社の宣伝やアフィリエイト広告で溢れかえっている。商業的だし、何より中身がつまらん。

ところで僕は、もうかれこれ9~10年ほど探偵の情報発信を続けている、いわゆる探偵インフルエンサー(笑)の第一人者でございます。自分で言うのもなんですが超売れっ子です。TwitterYouTubeでも数万人を超えるフォロワーさんがいて、文春さんをはじめとした雑誌の取材もたくさん受けたし、元SMAPやお笑い芸人さんのバラエティ番組にも出演している社会不適合者だ。もちろん仕事には全く困っていない。なので、このブログは完全に僕個人の趣味で超自由に書いていく。よくある広告とかも見にくくなるから一切張らない。

このブログを通じて、探偵がみんなにとってより身近な存在になってくれたら嬉しい。探偵業界のイメージ向上ってやつだ。単純に探偵という仕事に興味がある人はもちろん、浮気をされた人・浮気をしてる人、これから探偵になりたいなんていう人にもオススメだ。

探偵という影の職業であるにも関わらず顔出しをして、ここまで赤裸々に探偵としての情報発信を行なっている変人は業界でも僕だけだ。
それ相応のリスクを背負う覚悟と自信の表れなのだよワトソン君。

よろしくどうぞ。

探偵小沢のTwitter
探偵小沢のYouTube

探偵としてのキャリアの終わりについて

最近よく、探偵としてのキャリアの終わりについて考える。

ところでね
今これを読んでくれている探偵でない方にお伝えしたいことがあるんです。
それは…

今日も現場に出ている全ての探偵は「自分はいつまで探偵を続けていくのだろう」という自問自答をしながら調査をしている、ということ。

意外かい?とはいえ、まぁ多くのサラリーマンもこの手の葛藤は常に抱えていることだろう。だが探偵という職業の場合はより深刻な問題となりがちだ。

「探偵として生きていく」
はそんなに簡単なことじゃない

それは
「探偵として生計を立てていくこと」と
「探偵でいる自分を受け入れ続けること」
という2つの問題を孕んでいるのだ。


「探偵として生計を立てていくこと」はフィジカル(肉体的)な問題
「探偵でいる自分を受け入れ続けること」はメンタル(精神的)な問題
ともいえるだろう。探偵は辞めたい時に辞められない。それを寝れない夜に言語化してみたよ。

  

探偵として生計を立てていくこと
~フィジカルな問題~

ご存知の通り、探偵という職業は潰しが利かない非常にニッチなものだ。

『人を尾行するのが得意です!』
『ラブホテルから出てくる瞬間のカップルを撮るのには自信があります!』
『変質者だと思われようが何時間でも同じところに立ってられます!』

という事故アピールをしてくる人間を、積極的に採用したがる面接官のいる会社はあまり多く存在しないだろう。

現代日本においては、一度探偵という仕事に就いてしまったら、いわゆる一般的なキャリアアップを重ねていく人生は望めない。確実に社会のレールからは外れてしまう。前職が探偵というだけで、お堅い企業は片っ端から書類選考ではじいてくるのだ。僕は探偵から足を洗った人間を腐るほど知っているわけだが、キャリアアップとしての転職に成功した人間は知る限りでは たった一人しか居ない。

そもそも探偵になる人のほとんどは、前職を持つ転職組だ。それも探偵という職業を選択してしまうくらいだから、よほどの変わり者であることは間違いないし、探偵という仕事に流れ着いたということは、それなりにスネに傷を抱えた人間であることに他ならない。まぁ僕は新卒で探偵になってしまったので、スネに傷は無いけど親のスネは齧りつくしたとも言えるだろう(全然上手いこと言えてねーぞw)。

こうして探偵となった人間は、心機一転、調査業一本で生きていこうと決意して、現場で探偵としての腕を磨いていく。忙しさの中にもやり甲斐を見出し、身を粉にして対象者を追い続ける。メキメキと尾行の技術も上がり、様々な探偵スキルを習得していく。その過程は人生の第二の青春ともいえる楽しい日々かもしれない。だが探偵は生涯を通じて現場に出続けることは叶わない。気がつけばあっという間に歳を取り、現場でのパフォーマンスがどんどんと落ちていく。探偵の現場での寿命は短いのだ。

それなら現場を引退してクライアント対応をしたりする営業職に就けばいいじゃないか、と思うかもしれないが そう簡単にはいかない。そもそも現場一筋で影の仕事をしてきた職人探偵にとって、営業は真逆の仕事内容で、キャリアアップというよりかは完全なキャリアチェンジなのだ。それに探偵業の営業はかなり独特なものだし、往々にしてそのポジションは埋まっている。またここでは深く語らないが、探偵という仕事はクライアント対応の方が、肉体的にも精神的にも現場仕事よりもキツイものだと僕は認識している。

こうして体力だけでなく精神の衰え、労働時間、経済的な理由、家庭の事情、社会的体裁や世間体、そういうものが積み重なり、探偵は必然的に引退を考えざるを得なくなる。これがフィジカル(肉体的)な問題だ。

探偵でいる自分を受け入れ続けること
~メンタルな問題~

探偵は身体が勝手に動き出す。つい人を観察してしまう。眼球の動きが明らかに一般人と違う。カップルが視界に入ると今日セックスをするタイミングがいつかを予測してしまう。夜の住宅地を歩いていると無意識に足音を殺してしまう。東西南北を常に意識しながら生活してしまう。電話が鳴ったらどの名前で名乗ればいいか考えてしまう。自分のプライベートを犠牲にすることにある種の快感を感じてしまう。ようは職業病がキモいのだこれらは身体に染み付いてしまった習慣で、元に戻すのは至難の業だ。あとは街を歩いていても、至る所に思い出が存在している。

「対象者が立ち寄った店」
「対象者が乗換えに使った駅」
「対象者の勤務先」
「対象者の自宅」
「対象者を見失ったデパート」
「2日間張り込んだラブホテル」
「依頼者と契約したカフェ」

10年以上探偵をしていると、そんな場所ばかりが増えていく。そしてふと近くを通った瞬間に、辛かった思い出と共に当時の自分の記憶が蘇ってくる。そういう時に「探偵である」ということに対して、どこか誇りを持っている自分を再認識する。今まで潜り抜けてきた様々な苦難が、探偵としてのアイデンティティをより強固にしていくのだ。

遠回りな例えばかりになってしまったが、何が言いたいかというと【探偵は探偵である自分を誇りに思ってる】ということだ。プライドともいえるだろう。他人のセックスを証明して生活をしている社会不適合者という自分を愛しているのだ。(←文字にすると酷い肩書だな)

これは素晴らしいことでもあるが、同時に厄介な問題でもある。探偵を辞めたい時に辞めるというのはそれほどまでに難しい。これがメンタル(精神的)な問題だ。

  

まとめると、この2つの問題が欠け合わさることによって
「探偵を辞めたくないのに辞めないといけない」という状況と
「探偵を辞めたいのに辞められない」という状況に陥ってしまうのだ。

 

こうしてズルズルと探偵というものが、人生を侵食していく。

だいたい世の探偵たちはメンタルな問題をクリアにしてそのキャリアを終えるのだろうと思う。ようするに探偵への執着を捨てるということだ。探偵としての自分にピリオドを打って見切りをつけ、新しい人生を歩んでいく。探偵からの卒業だ。

逆にフィジカルな理由で「もう俺には探偵を仕事にしていくのは無理だ…」と痛感(挫折)してキャリアを捨てるとなると、その引き際は前者にくらべて格段に難しい。それは次のアイデンティティがまだ確立できていないからだ。今更自分が探偵以外の仕事なんてできるはずがないという恐怖もあるだろうが、それ以上に、自分が探偵でなくなることに恐怖を覚えるのである。高齢の探偵ほど悲惨だ。

 

先日、ひょんなことから同業他社の探偵さんとお話する機会があって『日本の探偵業界で小沢さんのことを知らない探偵はもういないと思いますよ』と言われて背筋が伸びる(凍る)思いがした。確かに謙遜するのも不自然なくらい、今や探偵業界においては有名になってしまったことは事実だろう。ゆえに多くの同業者もこの文書を読んでいることと思うのですが、頷きすぎて首がもげてはいませんか?

 

思うに僕にとって探偵というのはアイデンティティそのものなのだと思う。「探偵小沢」じゃなくて、ただの「小沢」にはもう戻れない。自分の場合、探偵を自身のアイデンティティの中にかなり肯定的に組み込んでしまっているし、それが占める割合も相当大きい。あの日、何者にもなれないで燻っていた自分を、肯定たらしめるものが探偵だった。今日までそれを糧として生きてきた自分から、探偵という要素を上手に抜き取ることができたとして、後には一体何が残るだろうか?新しい自分を肯定することができるのだろうか?もはやそこには貧乳好きの変態しか残らない。


探偵は人の秘密を覗く仕事だ。しかし(これはくさすぎて言うまい言うまいと思っていたが、)僕は<探偵>を通じて自分自身の人生を覗いているのだ。(言わせんな。)それに人生を懸けた大きな野望も実は持っている。

探偵小沢の肩書は厳密に言うと探偵というよりかは「コンサルタント探偵」だ。探偵の助けが不要な人間に対しても意見を述べたり影響を与える諮問探偵が、どんなキャリアの終わり方をするのかどうかを、ぜひあなたのその目で見届けて欲しい。

ディズニーランドの浮気や不倫

それなりに長く探偵をしてきた僕が、ディズニーランドやディズニシーに抱く印象といえば「夢と魔法の世界」ではなく…

「浮気と不倫の世界」だ。

カップルや家族連れで賑わうディズニー。僕ら探偵はみんなが思っている以上に、実は仕事でディズニーリゾートへ行く事が多い。いわゆるディズニー不倫(浮気)デートの調査である。

みんな大好きホテルミラコスタやアンバサダーホテル、ランドホテルもお泊り不倫ディズニーの宿泊先になっているのである。夢も希望もあったもんじゃない。

ディズニーランドの公式ホテルは、いわゆるラブホテルではない。そういったホテルでの宿泊を不貞の証拠として立証するには、客室から出てくるところとチェックインとチェックアウトをフロントで行っている一連の流れを映像で納める必要があるのだ。

ここだけの話、探偵からするとディズニーのホテルは少し厄介だ。まずキャストのホスピタリティが高すぎるが故に、探偵としての動きがホテル側に警戒されるまでの時間が極端に短い。そして何より構造が一般的なホテルと大きく異なり、出入り口やホテルの利用ルールが複雑な上、ディズニーランドやディズニーシーと関連した要素まで存在する。これらの理由から、手ごわい現場となりやすい。

しかし、何を隠そう小沢は
ディズニーがめちゃくちゃ好き なのである。

「小沢君、ディズニーが現場なんだけど、助けてくれない?」という連絡が探偵仲間から入ってくるくらいだ。そしてディズニー案件で失敗した事は今まで一度もない。成功率100%、それがディズニー探偵小沢だ。

なんかディズニーって文字をたくさん打ってたら、ディズニー行きたくなってきたから、僕がいかにディズニストなのかを少し語らせてくれ。

まず「あたしディズニー好きなんですよぉ~」とか言ってるそこらへんの女子より、確実に僕の方がディズニーが好きだ。そういう子とディズニーデートに行くと、僕のハシャギっぷりにまずドン引きする。 僕は基本的にインパするとマリーちゃんの耳をつける、これは基本中の基本だ。あまりに似合いすぎているせいで「小沢さんもうそれ本当に耳生えているみたいですよ!」と各方面から絶賛の嵐である。【お家に帰るまでがディズニーです】という自論に則り、電車で耳をつけたまま帰宅した事だってある。マリーちゃんの耳をつけてメディテレーニアンハーバーを背に ブラックペッパー味のポップコーンを頬張る俺の後ろ姿とか最高。

一番好きなアトラクションは「カリブの海賊」。過去に1日だけで最高12回連続で乗った事がある。カリブの海賊が好きな人に悪い人はいないって、じっちゃん(探偵ではない)も言ってましたし。 デイヴィ・ジョーンズの霧を潜ってから バルボッサが登場してパイレーツの「The Medallion Calls」のBGMが流れてくる下りとか泣きゲロ吐いちゃう。序盤のブルーバイユーの横を通り過ぎていくあたりの雰囲気とかもマジでヤバい、左側の小屋に住みたいと本気で考えていた時期がありました。あまりにも好きすぎるもんで「カリブの海賊」のあの独特の水場の空気感や においみたいなものを、自宅でも堪能できないものかと思って、小さなスポイトを持って行って 船の下の水を数滴採取して持って帰った。自分の部屋で「カリブの海賊」のウォークスルーBGMを流しながら部屋を真っ暗にしつつ、その水のにおいを嗅ぐと、もうそこは僕だけのカリブ海。「やい、オメエたち…」からのセリフはもちろん完コピだ。脳内アトラクションにシングルライダーしまくっていた。それでは飽き足らず、その持ち帰ったカリブのにおいのする液体を水で薄めて、外出する時に香水として自分に振りかけていた時期まである。個人的には大好きな香りだったので(小沢ブランド:カリブブルーオム)わりと気に入ってつけていたのだが、ある日、友人の西沢君に「オイなんかさっきからここらへんプールの塩素のくさい臭いしないか?」と言われてからは自重する様になった。ちょっとショックだった。

ショーパレを観たら泣く。もう泣く。感動で涙がこぼれるとかいうレベルではなく、少し嗚咽がする位に泣くのだ。 マーメイドラグーンシアターなんて行くと、自分の向いの前方の人たちとか何なら僕見て引いてるし。BBBなんて観たあかつきには ミキ様のステップの前で、僕の涙腺はもはや無力なのである。セーフティバーは私が上げよう。

ディズニ―は音楽も素敵だ。対象者を尾行する時に「魔法にかけられて」のサントラをBGMにすることもあるし、車両移動中は「俺クトリカルパレード・ドリームライツ」だ。毎年開催されるディズニ―オンクラシックだって、恒例行事でずっと参加している。感動できるディズニー映画の話題になると「どこで泣いた?」とか聞いてくる人がいるが、そりゃもう決まってんだろうが。1番冒頭の「星に願いを」の曲と共に水上のシンデレラ城に花火が上がる映像が流れてる時点でもう既に泣いてんだよこっちは!

あと分かる人しか分からないだろうけど僕はクラブ33のメンバーでした。

ところで何の話をしてたんだっけ?

探偵日記

僕は日記を書いている。
それも高校生の時から、ほぼ毎日欠かさずに、紙の日記帳に書いている。

何を書いているのかというと、その日に起こった出来事はもちろんのこと、目標や決意、その日に自分がどんな感情を抱いたかを自問自答しながら整理するように書き記していることが多い。他には印象に残っている誰かの言葉や、どうでもいいような下らない事なども書いたりする。誰にも見せるつもりがないにも関わらず、ふざけて読者を楽しませる事を意識した文体で書かれていたり、不意打ちで未来の自分に向けてのメッセージが書いてあったりもするから油断ができないし、ちょっと気持ち悪い。

なぜ日記を書き始めたのかは今となってはあまり覚えていないが、きっと何かの気まぐれだろう。
だがこの仕事をするようになってみて、学生時代に日記を書き続けたことが、探偵をしていく上で役に立つ資質を培ってくれたのだと思う。

一日の終わりに、その日を振り返る時間を設けることで、思考を深め、自分と対話をする。自分とのタイマンの時間である。そこには誰もいない訳だから、世間体を気にしたり見栄を張る必要は無い。しっかりと心の深くで自分と向き合ってこそ、真意が頭をもたげるのだ。
すると感情のコントロールをしやすくなったり、冴えた判断ができるようになったり、客観性を持つことができる。そして何より、自分をしっかり理解することで、自分に嘘をつくことがなくなる。

これが結構重要で、探偵というのは、嘘をつくのが上手くないといけない。自分という人間を乗りこなす事のできていない人がつく嘘は薄っぺらい。そう、あの日の帰り道の僕の様にね…(いつものお薬出しておきますね)

 

あと日記は読み返すと単純に面白い。

音楽は記憶のポストイットとはよく聞くが、書いた本人に限定するのであれば、日記こそが最強の記憶のポストイットとなるはずだ。
9年前の今日、自分が何をして、どんな事を考えていて、何に夢中になっていて、誰と会って、何に笑っていたのかを、正確に覚えている人はいないと思う。けれど僕は自分の日記を見返せば、全てが分かるようになっている。これってすごい事だと思いませんか?

僕は30代なのだが、歳を取るのがすごく嫌だ。老けたくないし、まだ恋愛もしていたい。
だが日記を見返すと、昔の自分の悩みが書いてある。当時の僕にとっては死活問題であったような悩みも、歳を取った今の自分からみれば「こんな事で悩んでいたのか」と可愛らしく見えるものである。そう感じれるのであれば、歳を取るのも悪くないと思わせてくれる。

日記を書くのを10年継続した者は、何かを成す人である。
日記を書くのを20年継続した者は、既に何かを成した人である。

どこかで聞いた格言だ。たしか高校2年生の頃から書き始めたわけだから、もうとっくに10年は経っている。これによれば、僕は何かを成す人としての素質はあるようだ。あと数年続けて、何か面白い事が成せていれば嬉しい。

探偵になってからは調査内容も書くようになった。もちろん具体的な対象者の個人情報などは残していないが、実際に調査に入った自分が読み返せば、全て思い出すことができる。
おそらくこの日記を出版すれば、「アンネの日記か 小沢の日記か」と言われるまでに各方面から絶賛の嵐だ。(いつものお薬出しておきますね)